ヘラクレイトス断片

ひきつづきこの本を読んでいます。

ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)
廣川 洋一
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この本を読みはじめた当初、ソクラテス以前のキーパーソンはヘラクレイトスパルメニデスプロタゴラスの3人である、とヤマを張りました。そこでまずパルメニデスの断片を読んだのが前回のエントリーです。パルメニデスには興味が湧いたので、しばらくはパルメニデスを追っかけていきたいと思っているのですが、そうなると必然的にプラトン以降に突入することになるため、その前に「ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)」から、パルメニデス以外の哲学者についても断片を読んでおこうと思います。

時代順からいくとパルメニデスの前にあたるのですが、まずはヘラクレイトスの断片を読んでみました。ヘラクレイトスソクラテス以前のキーパーソンの一人として期待していたのですが、結論から言いますと残念ながらピンときませんでした。

いや、ヘラクレイトスの断片は非常に面白い。パルメニデスよりもさらにブツ切れでしか残っていないにもかかわらず、ちょっと読んだだけで言わんとすることが伝わるし、リズムもいい。今でも通用する実用的な人生哲学が含まれている。でも何か手応えが足りない。そう、これはビジネス書なんかで「部下に伝えたい言葉」とか「人生を変えた一言」などと言って取り上げられたりしそうな、わかりやすいけど深みがない格言集のような匂いがします。一例をあげます。


ろばは、黄金よりもわらをえらぶ。

これは「馬の耳に念仏」や「猫に小判」にとても似ていますが、馬や猫がどちらかというと馬鹿にされているのに比べると、ろばは本質を知っている賢い立場として尊敬されているように読めます。


黄金を探す者はまことに多くの土を掘るが、発見する黄金(もの)はわずかである。

これは「無駄な努力をするな」とも読めるし、「努力が大事」とも読めます。おそらくどのどちらも含むのでしょう。


いちばん重要なことがらについて、いいかげんなあて推量はひかえよう。

これはおそらく言葉そのままでしょう。ほかにもいろいろあります。


同じ川に二度入ることはできない。

上り道も下り道も、一つで同じもの。

それが知られず、人の目につかないのは、信じないからだ。

混合飲料も、かきまわさないと、分離してしまう。

どうでしょう。人生の教訓や社会認識に役立つ実用的で含蓄ある言葉であふれていると思いませんか? こういう格言が大好きな人はとくに社会人の方々には多いのではないでしょうか。

しかし、俺はそういう「実用的な格言集」があまり好きではありませんし、哲学にそういうものを求めていません。なのでこのヘラクレイトスの断片を読んでの第一印象はあまり良くありませんでしたし、現在でもあまり惹かれないのです。もちろんパルメニデスとの関連性を軸に読み込めば読みごたえはある(パルメニデスの批判の先にあるのがヘラクレイトスの言葉であると想像できる箇所があります)し、言葉に力があって想像力が広がるし、いろんな発見もあって楽しいのですが、散文な上に断片、しかもかなり古いこともあって研究所を参照しながらじっくり読むくらいの気概がないと、格言集以上の読みは難しいと思いました。

パルメニデス 断片

はじめに

前回にひきつづき、ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)を読んでいます。

ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)
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今回は解説部分ではなく、後半に所収されているパルメニデスの著作の断片を読んでみました。この断片、まとまっているとは言え、文庫本でわずか12ページ。現存するテキストがこれだけというのも非常に残念なことではありますが、完全に失なわれてしまったソフィストたちの著作群に比べればまだマシと思うしかありません。

で、この断片ですが、ぶつぶつ切れていはいるのですが、完成状態では序詞、第一部、第二部に分かれているのではなかろうか、と言われているそうなので、それぞれ分けて読んでみます。

序詞


私(おそらくパルメニデス)は乙女に連れられて女神に会いに行く。

要約するとこれだけです。ちょっと読んだだけで「あ、ニーチェの『ツァラトゥストラ』の元ネタはこれか!」とわかります。「私」が「超越した存在」から啓示を受けるロードムービーです。この作品ではどうやら「私」が哲学を「語る」のではなく、「私」は「女神」に真実を「教えてもらう」立場のようです。女神に会うまでの情景は何かの比喩が含まれているのだろうか、とも思いましたがよくわかりません。

女神はこう言います。


汝はここですべてを学ぶがよい。
まずは、玉なす真理の揺らぐことない心と、
ついでは、死すべき者どもの真の信頼なき思惑とを。
しかしなお、このこともまた汝は学ぶことになるであろう、いかに思惑されることがらが、すべてのものを不断に貫き通し、真実らしい在りようをもたねばならなかったかを。

これは当初、第一部「玉なす真理の揺らぐことない心」と第二部「死すべき者どもの真の信頼なき思惑」という意味だろうと理解していました。しかしそうすると最後の行がわかりません。

第一部で正しい理解を示し、第二部で間違った理解を示します。それを両方学んだ後には間違った理解をしている人がいるのも仕方ない、ということがわかるでしょう。

という意味なのか、もしくは

第一部で正しい理解を示し、第二部で間違った理解を示します。そして実は第三部(完結編)があるんです。ちょっとだけネタバレしますが・・・

という意味なのか。いずれにしても第二部が

これよりのちは、汝は死すべき者どもの思惑を学ぶがよい。

で始まることを考えれば、第一部と第二部に分かれるという説明であることは間違いないでしょう。全文が残っていれば最後の行の意味するところがもう少しわかるかもしれませんが、残念です。

第一部

おそらくこの作品の最重要部分がこの第一部だと思われます。

この本の訳では「ない」という言葉を使わず「あらぬ」で統一してあります。これは原典の意味を正確に伝えるためにそうしているのでしょうが、俺としてはあえて「ない」を使ってみます。パルメニデスが言っているのは


「あるものがある」と「ないものがない」は要するにどちらも「ある」って言ってるよね? つまりどっちにしろあるんじゃね?

人間は「ある」ものしか理解できないんだから「ある」しか言えない。「ない」は言えないんだ。「ないものがある」とか「あるものがない」ってのはそもそも矛盾だしね。つまりどうがんばっても「ない」ものを表現することはできない、「ある」ものだけを表現できるんだ。

よって選択肢は「あるものがある」と「ないものがない」の2つしかなくって、どちらも「ある」には違いないけど違うっちゃ違うよね。で。どっち選ぶ?

と。こんな感じで理解しました。

第二部

正直言って、この第二部が何を言っているのかはよくわかりません。それぞれの文の意味はわかるのですが、断片すぎるせいで女神が批判的に言っているのか真実として言っているのかがよくわからないのです。ここは力技でかなり強引に読んでみます。


すなわち、彼らは二つの形態を名付けようと心にきめた、

「二つの形態」とは、光と夜、男と女。ポジティブとネガティブ。つまり「ある」と「ない」。彼らとは真実をわかっていない間違った人々。
彼らは「ある」を言うだけでは不十分で、つい「『ない』がある」と言ってしまう。その理由は「ない」にも「ない」という名前を付けたからである。

彷徨い歩く身体の混合の比が、そのときどきでいかにあるかにより、それに応じて思惟が人間たちに現れてくるのだから。

愚かな人たちは光と夜の間も無理矢理どちらかに分類してしまう。

女と男が、ウェヌスの種子をともに混ぜ合わせるとき、(中略)異種の血からみごとに組み立てられた身体を作り出す。

「ない」がある、と思っている愚かな人々の考えに従うならば、「ある」と「ない」が混ぜ合わさって、新たな「ある」が生まれることになる。これは矛盾である。

これらのもののそれぞれに、人間どもは区別のための名前を定めおいたのだ。

新たな「ある」が生まれるたびに、名前を付けてしまうから、いろんな「ある」(「ない」も含めて)があり混乱しているのだ。

これらの考えはすべて間違っており、宇宙には「ある」しか存在しない。「ない」は存在しないのである。両方があると考えるから間をどちらかに分類してしまうような愚行に及ぶ。「ある」しかないのであれば間を分類することは不要である。全ては「ある」の濃度の問題でしかないのだ。

他の読み方もあるんだろうし言い足りてないんだろうけど、今のところこれで精一杯です。一行にまとめると、第二部で言っているのは


すべては「『ある』と『ない』の両端とその間」にあるのではなく、「『ある』の濃度」でしかないのだ。

ということではないかと。実は、ドゥルーズの言う「強度」に置きかえて理解しただけです。

最後に

パルメニデス、これだけのテキストではやはり物足りません。この他はプラトンパルメニデス」に頼るしかないのですが、これはまだ入手していません。プラトンの著作は岩波文庫から多くが出ているのですが、この「パルメニデス」はなぜか出ていません。単行本で探していますが高いようなので、もし古本屋で見つけたら読んでみることにします。

なお、未読で言うのもなんですがプラトンの「パルメニデス」は書かれた時期もわりと遅く、登場するソクラテスにもプラトン補正がかなり強くかかっていると予想されます。また、プラトンパルメニデスは面識はないはずですし、ソクラテスにしても年齢差を考えるとパルメニデスと直接対話できたとも思えません。そもそもプラトンパルメニデスの見解はかなり異なるでしょうし、このプラトンの「パルメニデス」はかなりフィクション度合いの高い作品だろうと思われます。その辺も覚悟しておく必要があるでしょう。

あと、ハイデガーパルメニデス」というのもあるようです。これも是非読んでみたいです。これとプラトンを両方新品で買うと1万円超えてしまいますね。どうしようかなぁ。

『ソクラテス以前の哲学者』

さて早速始めるか! と思ったのですが最初につまずきました。どこから始めるか、という問題です。

当初は、ソクラテスからスタートしよう、と思っていました。古代の哲学で足踏みしていてはなかなか前には進まないだろうというわけです。しかし、まず「ソクラテスには著作がない」という誰でも知っている事実にぶちあたりました。そうです。ソクラテスの哲学に触れるにはプラトンの著作にあたるしかありません。もちろんプラトンにはプラトンの哲学があるわけで、そうなるとプラトンの哲学とソクラテスの哲学の両方をプラトンの著作から読み解くということになります。

そこで疑問がわいてきます。プラトン経由のソクラテスははたしてどのくらいソクラテスなんだろうか、と。と同時にプラトンの著作の中では悪役になっているソフィストというのはどのくらい脚色されているんだろう、と。

どうやらソフィストは狭義の哲学者にはカテゴライズされていないらしいのですが、ソクラテスと問答をやるくらいだから何らかの哲学的思考は持っていたはずです。そもそもそれ以前にも哲学があったことはなんとなく知っています。ソフィスト以前にもソフィスト以後にも哲学があって、なぜソフィストは哲学じゃなくてソクラテスが哲学の祖なのか。そう考えるとソクラテスからスタートするのはどうにも気持ち悪い。どうやらソクラテス以前についても見ておかなければならないようです。

ところが、ソクラテス以前の哲学の著作のほとんどは、現在ではほとんど残っておらず、すでに失われているのです。もちろんそれは「第二次大戦で失なわれた」などというレベルのものではなく、キリスト誕生よりもはるか昔に失われているものですからいつか出てくるという類のものでもありません。そういうわけで、原著が基本、とも言ってられないのでまずは参考文献に頼ります。

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結論から言うと、ソクラテスについてはプラトンのフィルターを通してしか知れないのと同じく、ソクラテス以前の哲学者についてはアリストテレスのフィルターを通してしか知れない、ということがこの本でわかりました。ソフィストが悪役なのも、タレスが「万物の根源は水である」と言ったのも、すべてはアリストテレスの都合でしかないというわけです。

そもそもアリストテレスっていうのは分類オタクでしょう。今の時代なら音楽のジャンル分けとかに命を燃やすタイプでしょうか。ジャングルのルーツはレゲエで、それとブレイクビーツが融合してドラムンベースが…とか、いやそうじゃないんだとか、なんだかんだと系統立てて分類することに命をそそいで肝心の音楽活動はあまりやってないような、そんな人なんじゃないでしょうか。で、ハウスとかデトロイトテクノとかジャーマンテクノとかいろんなクラブ系ミュージックの系譜を完全網羅しておきながらトランス(ソフィスト)に関しては「あんなの音楽(哲学)じゃねー」と完全無視する、みたいな。

邪推するに、


プロタゴラスが「人間が万物の尺度である」と言った(これは原典が残っている)ので、ああ、タレスならきっと「万物の根源は水である」と言っただろうなあ、ピタゴラスなら「数」、ヘラクレイトスなら「火」って言うんだろうな、ふふふ。

などと文献を整理しながら空想したものが後世に広まってしまったのではないでしょうか。そんな都合のいい丸暗記問題の回答集ようなことを知の最先端に立つ人々が言っていたとは思えません。「鳴かぬなら○○○○ホトトギス」じゃないんですから。(学術的根拠はありません)

話を戻しますが、そういうわけでアリストテレスの濃いフィルタを通してしか知りえないのがソクラテス以前の哲学の難しさ、のようです。で、これに本気で取り組むのはかなり難しいと感じましたので、ここではこの「ソクラテス以前の哲学者」をざっとナナメ読みして概要を掴んでおきたいと思います。かなりザックリとした自分なりの理解をまとめました。


まず、古い時代には哲学と自然科学(数学や化学、物理学など)の区別はあいまいで、自然の仕組みを研究していたタレスピタゴラスは科学者であり哲学者でもある。彼らは自然の中の物事について「それ(物事)が何であるか」という思索を行なっていた。そこにヘラクレイトス「自分は何であるか」という新たな問題を提示し、「それ」という外部でなく「自分」という内部について考えるという哲学の大きな一歩を踏み出す。一方パルメニデスは自然を題材にしつつも「それ(物事)が『ある』とはどういうことか」という実存主義的な問題提起することでこれまでの哲学全体に対して疑問を投げかける。そこにプロタゴラス「人間が尺度だ(つまり、あると思えばあるし、ないと思えばない)」と回答する。これはデカルト「我思う〜」の受け売り(笑)のようにも見えるけれども、むしろ「答なんか一つじゃない。人それぞれ。みんな違ってみんないい(もしくは悪い)」という現代的でポストモダンな香りも漂う。なお、このプロタゴラスソフィスト(本来ソフィストとはタレスなどの賢者を指すものだったが、ここでのソフィストは狭義のそして蔑称としてのソフィスト)のビジネスモデルを完成させ、ギリシアのあちこちに展開しはじめる。この活躍にやきもちを焼いたソクラテスとその弟子プラトンはアンチソフィストとしての活動を開始する。(つづく)

ちょっとソクラテス/プラトン/アリストテレスに対していじわるい視点で読んでみましたが、今後彼らの主張ばかりを読むことになることを考えると、そのくらいでないと公平とは言えないのではないかと思います。だいぶ端折りましたが、どの辺を軸にするのかを考えながら要約してみたらとこんな感じになりました。

今回は解説書のナナメ読みでしたので、あまり深い入りしていないのですが、もっと深入りしたいと思ったのはヘラクレイトス(この人こそ最初の哲学者!?)とパルメニデス(最初の実存主義者)、そしてプロタゴラス(最初の相対主義者)については正直かなり惹かれました。ヘラクレイトスパルメニデスについては著作の断片がこの本にに掲載されていますので読んでみることにします。あと、パルメニデスプロタゴラスについてはプラトンの著作(もちろんソクラテスとの対談形式)があるのでそちらの視点からも読むことができます。

そういうわけで、原典(訳)読みの題材ができました。

プロタゴラス」はプラトン初期、「パルメニデス」はプラトン中期に分類されるようです。プラトン初期はソクラテスの哲学、プラトン中期はプラトンイデア論が展開されているという風に理解していますので、これに

を加えればソクラテス前〜アリストテレスを網羅ってことでどうでしょうか。断片と「弁明」はすでに手元にあるのでそこから読んで行きます。

とりあえずの指針

このブログをはじめるにあたって、読む順序をどうやって決めたらいいかに迷いました。書店で哲学史の本をいくつか立ち読みしている中から「図説・標準 哲学史」をガイドとすることにしました。哲学史本としてこの本がどのような評価なのかはわかりませんし、解説内容が適当なのかどうかもわかりませんが、電車の中で「つぎはどの本にしようかな」と広げられる程度の軽めの本ということでこれにしました。

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この本では53人の哲学者+18主義の合計71項目が紹介されています。これを真面目に追って行くとすれば50〜100冊は読むことになるでしょう。原著でこれだけの量を読むのはかなり大変なので、当面の目標はベルクソンまでで30冊、としておきます。

はじめに

tomokiwaと申します。

このブログはIT系エンジニア(SE兼プログラマ)である俺が哲学を読んだ記録をつづるブログです。

俺自身はこれまでの人生の中で哲学書はいくつかは読んでいますが、専門家でもなければ特別詳しいという人間でもありません。趣旨としては、「まあどうせ読むならなんか感想とか残しておこうか」程度のものですが、やはり書くことを前提に読むというのはやはり読み方が変わるのでしっかり読まねば、という気概でおります。主には原典(の翻訳)を読み、思ったことを綴っていきます。副読本として解説書も参照することになるでしょうが、あくまで原典とその翻訳を軸としたいと思います。自分なりのまとめ的なものも書いていきたいのですが、これは下手をするとネット上にゴミを撒き散らすことになる可能性もあります。あくまで俺なりのしかもその時点での理解のレベルでのまとめですのでご了承ください。

さて、このブログにルールを作っておきましょう。

このブログを読む人が一体どのような人なのかはさっぱりわかりませんが、一応「IT系エンジニアが」と銘打っているブログですのでIT系用語は使っていいでしょう、ということにさせていただきます。よって言語学の話がプログラミング言語論に繋ったりとか、アリストテレスヘーゲルはどっちがJavaが得意だろうかとか、そういう話になるかもしれませんし、ならないかもしれません。

話題は今のところ西洋哲学に限定し、古代ギリシア哲学から時代順にを追って行く予定です。どこまでが哲学なのか(社会学や心理学などとの境界とか)という問題が時代がすすむにつれ浮上してきますが、その辺は俺の基準で適宜判断します。ただ、右だの左だのという昨今のネット上の議論にもなっていない罵倒合戦には嫌気がさしていますので、できるだけ現代の政治思想には直接むずびつかないよなものをピックアップしていきたいと考えています。近代以降はそうも言ってられないでしょうが。

読んだ書籍には可能なかぎりAmazonへのリンクをつけていきます。一応アフィリエイトになってますが、アフィリエイト目的のサイトではないのでURLコピペでアフィリエイトを切って飛んでもらっても結構です。ただ、書籍代の足しにでもなれば、という思いもありますので「どうせ買うなら協力しよう」という奇特な方がいらっしゃいましたらそのまま踏んでいただけるとありがたいです。

コメントに関しては開放しておきますので、誤読のご指摘や推薦本のご紹介などご自由にお書きください。本題と関係ないお話はご遠慮ください。

あとテキストだけでは寂しいのでところどころ写真や絵などが貼られることがあるかと思います。本文と関係ないものもありますので適当にスルーしてください。

では、よろしくお願い致します。